Outline 〜記事を書き始める理由〜

 はてなブログの勝手を知らないので他の人のそれを多少見て学んでから実際に書いたほうがいいかもしれないが、あまり多くの時間をかけることもできないため手探りながら書いていきたいと思う。

 大学受験の合格者は色々場所で「合格体験記」を書くことになるだろう。それは高校であったり、予備校であったり。しかし、合格者は一人ではなく紙面も限られるので、当然一人が書ける量、すなわち伝えられる量は十分なものとは言えないことが多いだろう。

 しかし、このようなハード面の問題もあるとはいえ、根本的に「合格体験記」とは多くの場合、合格した人が後から勉強法や精神論を語るものであって、言ってしまえばそれらは全て終わったから言えることなのである。それでも得られるものが大きいことは間違い無いのだが、それを聴く側からするとどこか上滑りするような感覚は常にある。(少なくとも僕はそのように感じた。)

 僕は驕慢で不遜な思春期ど真ん中の高校生であるので、合格体験記をもう書き始めてしまおうなんてことは冗談とはいえ随分前から嘯いていた。そして2020年度が終わろうとしている今、多くの人々が合格し、多くの場所でその合格体験記を目にするようになった。そこでやはり同じ感覚を、どこか上の空のような感覚を覚え、高1の3月にして、合格体験記という名の駄文の重畳を気づこうとしているのである。

 まあ以上だけの理由なら冗談の域を出なかったのだろうと思うが、身近にはてなブログを書いている人がいたこと、成文化することによって自分の現状や心情などを客観、分析しやすくしたいという後付けの理由もあって今こうして記事を書いている。

 また、最近強く感じたのは「不合格体験記」が時に合格体験記よりはるかに強い意味を持ちうるということである。「こんなに成績の悪かった先輩が頑張ってこんな良い大学に受かりました!」というサクセスストーリーは耳あたりがいいし、実際未来の成功を夢見ることは大きなモチベーションになるだろう。しかし、「こんなに良かった先輩でもこの大学に落ちてしまった」という事実はとても鮮烈で強い危機感や焦りを与えてくれる。仮にこれが不合格体験記となったとしても、あるいはその方が、読者の力になれるのではないかと思う。

 とはいえ雑多なことも呟くとは思う。かなり飽き性が強く継続的にこれを書いていく自信はないのだけれど、できる限り気楽に、どこまでも自己満足にこのブログを書いていきたい。その副産物として、いるかもわからない読者の方の暇つぶしに、あるいは力になれたらと思う。