僕の数学のこれまでとこれから

 今回は僕が数学をどのように勉強しているか(する予定か)について話していこうと思う。

 前回、先取りをしていたため中2で高校数学は一通り終わらせたという話をしたが、これは比較的数学を得意とするような人向けのものになると思う。

 これまでにしたことについて、中学生の時に東進の中学部に通っていてそこで高校数学の基礎的な部分を終わらせ、その後数学特待制度を使って習った道具を本質的に理解するような講座(青木先生の数学の真髄という講座で、時間的な余裕と意欲のある人には受講を強く勧めたい、言葉通り世界の見え方が変わると思う)を受講し、今東大の二次試験に向けた演習を行なっている。

 それぞれ通っている塾があったり、あるいは塾に通っていなかったりする人がいるであろうが、僕自身そこまで東進の講座や参考書に精通しているわけではないのでそれは別の場所で調べてほしい。

 多くの人ができるであろうものの中で現状僕がやっているのは、京都大学の数学の過去問をとにかく解いていくということである。初めに断っておきたいのだが、これは現在僕が自分で思いつき実験的に行なっているものであって、誰かに勧められたわけでもこれによる成功体験だというわけでもない。これが上手くいくかどうかは今後のブログに記していきたいと思うが、この時点で妄信的に同じ方法を行うことはやめてほしい。

 なぜ京大の数学を解こうと思ったかというと、初めに問題の質である。数学を解けるようになるために必要なものは何か。それは正しい理解の上に良質で十分な演習を積み上げること以外にはありえない。問題の面白さ、深さについて、東大よりも良問とされることすらある京大の問題が申し分ないことは言うまでもないだろう。難易度としてもそこまで高いわけでもなく、例えば高2で受験で使う数学を終える文系ならば高3の春の時点で京大文系数学は十分解けるものだ。

 さらに、志望校「ではない」大学だということが大きい。僕は東大志望なのだが、今から貴重な過去問に手を出すことには抵抗がある。しかし受験しない大学の問題ならばそのような躊躇は無用である。京大を志望している人ならば逆に東大の問題を解くのもいいだろうし、あるいは名古屋大学の数学も難問、良問として有名である。

 またこういった問題を集めている参考書を買って取り組むのもまた良いだろう。僕のように大学の過去問を直接解くという人は、「過去問ライブラリー」という有名大学の数学の過去問を集めたサイトがあって、そこに解答も載っているのでぜひ活用してみてほしい。

 

 以上が現状の僕の数学の勉強に対する軌跡とこれからの予定である。その成否を見た上で、参考になるものがあれば是非試したみてほしい。

Self Production

 名前だけのそれになりそうな予感が充満しているとはいえ、一応合格体験記と銘打っている以上、最初くらいはそれっぽいことを書こうと思う。

 

 成功した人のしたことを全く同じようになぞって自分が成功するという保証はどこにもないわけで、それは当然自分とその人が違うからである。なのでこのような話で参考になるのは自分と同じ、あるいは似た部分ということになるだろう。

 また、その勉強法なり精神論なりの語り手がどのような人間かがわからなければ、聞き手は自分と話し手のどこが共通しどこが相違するのがわからない。だから、話し手について知ることは話を聞く上で必要不可欠と言える。

 そういうわけで受験や勉強という面について、自己紹介というか自分語りをしていこうと思う。

 僕は田舎の男子校中高一貫校に通っていて、進学校と自称しても許される、くらいのランクのものだ。

 小さい頃から算数が好きでその延長で今でも数学が好きかつ一番得意としている。いわゆる競技数学と呼ばれる、数学オリンピックなどにも挑戦していたが、如何せん多くの時間を割かないといけないため受験の兼ね合いを考えるとそろそろ好きなものだけを追いかけているわけにもいかないなということで事実上引退することをつい先日決めた。それでもその取り組みの中で得られた発想力や考え続ける力、あるいは純粋に数学の楽しさを知れたことはとても大きかったと思う。これを読む中にまだ学年の若い後輩がいたなら、数学オリンピックに限らず興味のある競技科学にぜひ挑戦してみてほしい。

 高校数学は中2までに一通り履修し、中3、高1で固めて、今は東大理系数学で稼ぐための勉強をしている。

 ここまで読んでいただければわかったと思うが、数学に関してはあまり多くの人の参考になることは書けないのではないかと思っている。

 だが、その他の教科に関しては飛び抜けたものはなく、むしろ社会などは苦手とするものであるので、その部分に関しては比較的多くの人の役に立つものなのではないかと思っている。

 

 偉そうにこんなことをしている割に、僕は決して勤勉な類の人間ではなく、現在春休み残り2日にして課題が山ほど残っているのにこのブログを書いているような始末である。幸か不幸か、その点についても多くの人と共通する部分はあるのではないだろうか。

 いずれにしろまだ具体的な内容は何一つ述べていないが、このような感じで弊ブログを気の赴くままに書き進めていこうと思う。

Outline 〜記事を書き始める理由〜

 はてなブログの勝手を知らないので他の人のそれを多少見て学んでから実際に書いたほうがいいかもしれないが、あまり多くの時間をかけることもできないため手探りながら書いていきたいと思う。

 大学受験の合格者は色々場所で「合格体験記」を書くことになるだろう。それは高校であったり、予備校であったり。しかし、合格者は一人ではなく紙面も限られるので、当然一人が書ける量、すなわち伝えられる量は十分なものとは言えないことが多いだろう。

 しかし、このようなハード面の問題もあるとはいえ、根本的に「合格体験記」とは多くの場合、合格した人が後から勉強法や精神論を語るものであって、言ってしまえばそれらは全て終わったから言えることなのである。それでも得られるものが大きいことは間違い無いのだが、それを聴く側からするとどこか上滑りするような感覚は常にある。(少なくとも僕はそのように感じた。)

 僕は驕慢で不遜な思春期ど真ん中の高校生であるので、合格体験記をもう書き始めてしまおうなんてことは冗談とはいえ随分前から嘯いていた。そして2020年度が終わろうとしている今、多くの人々が合格し、多くの場所でその合格体験記を目にするようになった。そこでやはり同じ感覚を、どこか上の空のような感覚を覚え、高1の3月にして、合格体験記という名の駄文の重畳を気づこうとしているのである。

 まあ以上だけの理由なら冗談の域を出なかったのだろうと思うが、身近にはてなブログを書いている人がいたこと、成文化することによって自分の現状や心情などを客観、分析しやすくしたいという後付けの理由もあって今こうして記事を書いている。

 また、最近強く感じたのは「不合格体験記」が時に合格体験記よりはるかに強い意味を持ちうるということである。「こんなに成績の悪かった先輩が頑張ってこんな良い大学に受かりました!」というサクセスストーリーは耳あたりがいいし、実際未来の成功を夢見ることは大きなモチベーションになるだろう。しかし、「こんなに良かった先輩でもこの大学に落ちてしまった」という事実はとても鮮烈で強い危機感や焦りを与えてくれる。仮にこれが不合格体験記となったとしても、あるいはその方が、読者の力になれるのではないかと思う。

 とはいえ雑多なことも呟くとは思う。かなり飽き性が強く継続的にこれを書いていく自信はないのだけれど、できる限り気楽に、どこまでも自己満足にこのブログを書いていきたい。その副産物として、いるかもわからない読者の方の暇つぶしに、あるいは力になれたらと思う。